東京ララバイ

都内で子育てをするパパのブログ

広瀬団地

幼少の頃、広瀬団地ってとこに住んでいました。

団地と言っても4階建てとかのやつじゃなくて、庭付きの2階建ての四角い家が連なっている他ではあまり見ない感じのやつです。

 

4階建てのいわゆる団地は目の前にも後ろにも横にも立っていたけど、なぜか私の住んでいた2階建ての団地が1棟だけあったんです。今思えば不思議な形ですね。

 

昭和50年代、人も子供もたくさんいて、今では考えられないけど商店街も人で賑わっていまいた。

 

googleストリートビューより

 

この75-Mと75-Nの間の道が、商店街としてとても賑わっていました。

今となっては見る影もありませんね。

 

尚、この画像の撮影位置に立った際、ちょうど背後にあたるのが、広瀬庵という中華屋さんですが、こちらのお店は当時からありました。老舗ですね。

 

この広瀬庵の前の通りをgoogleマップで見ても県道何号とか表示がなく、道路に名前があるのかどうかも分かりませんが、母が

16メーター道路

と当時言っていまして、横幅が16mあるのかな?と子供ながらに思っていました。

 

この16メーター道路は当時非常に賑わっていて、様々なお店がありました。

中でも当時子供だった私にとっては夢のようなお店、おもちゃ屋さんが4店舗もありまして、今回はそちらを紹介していきたいと思います。

 

とは言え当時の記憶を辿っているので、間違いもあるかもしれませんが、予めご了承下さい。

 

1つ目は、ひかり人形店前橋市広瀬町2丁目13−1)

googleストリートビューより

今は整体のお店になっているようですね。

ひかり人形店は、おじいさんとおばあちゃん2人がやっている、びっくりするほど小さなお店でした。大人が2人入ったらすれ違うのもやっとな位の小さなお店で、店内におもちゃが積み上げられている感じ。
あの光景は今でも目に焼き付いています。

記憶の中で一番古い、おもちゃを買ってもらったシーンも、初めてのガンプラも、お年玉をためてホットショットを買ったのもここでした。

他の店舗の記事を書いていてふと思ったのですが、もしかしたら問屋みたいな扱いだったのかもしれませんね。この後出てくるおもちゃ屋さんは、現代のイオンのおもちゃ売り場と同じように、ちゃんとディスプレイもされていたし、店内も広かったです。

父がおもちゃと言えばかならずひかり人形に私を連れてきたのは、問屋価格だったからかもしれません。

 

 

2つ目は、おもちゃのよこやま前橋市広瀬町2丁目6−5)

googleストリートビューより

多分場所はここだと思います。

2画面のドンキーコングゲームウオッチとか買いました。

なにかの条件(いくら以上購入とか)でオリジナルのチョロQがもらえるとか噂もあり、憧れていましたね。小学校低学年の頃は知らなかったのですが、店の奥の扉を開けるとプレハブのゲームセンターがあり、高学年になってからは通い詰めましたね。

華やかな店内の奥にある扉を開けるとアンダーグラウンドな世界が広がっている感が子供ながらに背徳感を感じていたのです。

当時小学校からの配布物に、ゲーセンに行かせないようにと親への注意喚起が書かれていた時代ですね。

 

 

3つ目は、おもちゃのイマイ前橋市広瀬町2丁目2-12)

googleストリートビューより

ここはもう完全にこの場所ですね。

建物はもちろん、シャッターに「IMAI」と残っているのがエモい。

ここにはファミコンのディクシステムの書き換えが出来る機械があったんですよ。この辺ではここだけだったと思います。しかも◯◯な機械だったらしく。。。

ここでは忘れもしない、1988年12月17日にファイナルファンタジー2を買いに来ました。ダンボールに入った入荷したてのファイナルファンタジー2を自分の手で掴んだあのシーン、今でも覚えています。

 

 

そして最後は、おもちゃの後閑(漢字はあやふや)(前橋市広瀬町1丁目5−6)

googleストリートビューより

こちらはだいぶ記憶があやふやです。

もしかしたら場所はもうひとつ先の交差点かも。

ひかり、よこやま、イマイと広瀬2丁目だけで3店舗もあったので、こちらはあまり来なかったのです。でも、初代ゲームボーイの予約をなぜかここでしていたので、発売日に買いに来た思い出の場所です。

 

ということで、ふと幼少時代に行ったおもちゃ屋さんのことを思い出したので書いてみました。近年子供のおもちゃを買うとなると、イオンのおもちゃ売り場か、トイザらスAmazon楽天になり、私が通ったおもちゃ屋さんみたいなのがなくて、寂しい限りですね。